9条真理教 終了のお知らせ

ロシアがウクライナに侵略戦争を仕掛けてきたことで、日本が隣国に攻め込まれるという現実が目の前に現れました。
それに対して頭を抱えているのは、日本国憲法の改正、特に9条の改正に反対する擁護派たちでしょう。
私は彼らを9条真理教信者と揶揄しています。

9条真理教とは

日本には「憲法学」という奇妙な学問が存在しています。これは海外においては存在しません。
何故なら憲法は法学の一分野でしかないからです。

日本が憲法学という独立した学問になった背景には、明治以降に日本が近代化を進める上で、君主でありながらも直接的政治を行わず、神としての存在を兼ね備えた天皇と国民との関係を、近代的な西洋国家における憲法にどう落とし込むべきか、独自性を求められた特殊な理由があるからだと言えるでしょう。

大日本帝国憲法が公布された後も、その解釈について紆余曲折を経ることとなり、それが憲法学という学問として醸成されていきました。

しかし日本が第二次世界大戦で敗れて連合国に占領され、憲法の根本的な改正が求められた状況で、「憲法学者」たちは「戦犯」として処刑されることを恐れ、アメリカが提案した原案を肯定する、正当化する形での転向を行うようになりました。

それが数十年にわたり、あたかもお題目を唱えるが如く、いつしか日本国憲法の絶対性、正当性を主張し、改正に関わる議論を拒否するようになりました。
まるで日本国憲法がご神体となり、特に日本の武力の放棄を記載した9条が、日本の守護神であるように信奉するかのような様であるため、私は平成初期に日本の転覆を謀るテロ事件を続けたカルト教団の名に肖って、「9条真理教」と揶揄しています。

「他国は日本を侵略しない」「9条が守る」という非論理的な展開

彼らの論理を要約すると次の通りです。
  • 日本は他国を侵略する「悪の国」だ
  • 日本が侵略戦争を二度と行わせないため、一切の軍備、兵力は持つべきではない
  • 諸外国は憲法前文で示すとおり、平和を求めて侵略戦争をしない
  • 例え他国が侵略を考えても、丸裸の相手に卑怯なことは絶対にあり得ない
1番目については、民主主義国家として国民がその主体であることを考えると、そもそも日本を否定している時点で矛盾を生じているので、ここで語るまでもないでしょう。

2番目については、そもそも連合国(国際連合)は日本を丸裸にすることを考えておらず、国連軍を駐留して日本の防衛を行う計画をしていたことが根本にあります。
つまり日本が自ら防衛のために戦わず、国連軍が代理で防衛の戦争をすることになっていたので、9条二項に書かれる内容が適用可能だったのです。

しかし朝鮮戦争によって、連合国の主要国だったソビエト連邦がアメリカ合衆国と対立関係になったことでご破算になり、日本を実質占領していたアメリカは警察予備隊という日本による防衛組織を設けることとなり、これが現在の自衛隊になりました。
さらにサンフランシスコ講和条約によって日本の主権が回復し再び独立国として復帰するに当たり、当初の国連軍の代替として米軍を防衛のために駐留することとなり、その根本が日米安保条約として締結、幾度かの改正を経て今に至ります。

日本国憲法を起草したアメリカが自ら憲法に矛盾を生じる事をしながらも、憲法に部分的に沿う形で今の防衛体制が生まれたわけですが、憲法学者、9条真理教信者たちはこれを無視し、あたかも「丸裸」の状態こそが理想だと言っているのです。

3番目については、法的解釈をすればおかしいことがすぐに判ります。
日本国憲法は「日本国内でのみ適用される法律」のひとつに過ぎないからです。
諸外国は日本国憲法に反する行為をしても処罰されたり制裁を受けることはあり得ません。
つまり、憲法前文で諸外国が平和を求めていると書いていても、諸外国がそれを守る義務も理由もありません。
あくまでも日本側がそう信じているというだけで、それに反することが発生してもおかしくはないのです。

4番目においては、丸腰の相手を攻めるなど卑怯だ、というのは日本人独自の発想です。
海外の人間から見れば、鴨が葱を背負ってきたも同然で、それを攻めないのは頭がおかしいと思われます。
よく「海外を見習え」という人たちが、ことこの話になると日本のローカルルールで話すことに、非常に違和感を覚えます。

ロシアのウクライナ侵攻が、根本を変え始めた

戦後から80年近くにわたって、こうした歪んだ学問が宗教のように蔓延っていましたが、2022年2月に、それを根本から覆すように、ロシアがウクライナに侵略戦争を仕掛けてきました。

ロシアは日本にとっても隣国であり、北海道においては樺太(サハリン)と千島列島(日本政府は北方四島から先と主張)の間に国境が存在します。
また、日本海に接するウラジオストクなどの地域には陸海空軍が配備されていて、過去にも戦闘機による領空侵犯や、軍艦による津軽海峡の横断を行うなど、何時でも襲撃できる体制を取っています。

こうした隣国が侵略戦争を仕掛けたことで、日本も他国に侵略されることが現実味を帯びてきました。

しかしながら、憲法学者、9条真理教信者たちはこの事実を無視し、未だにお題目を唱えるように憲法改正、9条改正に強く反発し、日本が攻められる恐れがあることに対しても「あり得ない」「9条が守ってくれる」の一点張りを続けています。
さらに最近においては「侵略戦争を仕掛けられたら降伏すべきだ」と、あたかも日本が滅びることを平気で主張する人間まで出てくる始末です。

私たち日本国民は、歪んだ理想によって「非現実的」な主張を繰り返す護憲派たちを無視し、現実的に日本を守る、抑止力として軍備を固め、他国が簡単に侵略に至らないよう、憲法改正や防衛について真剣に考えるべきです。
外交においても、背後に強力な抑止力があることで、有利に進められる事実も受け入れなければいけないでしょう。

「戦争はいけない」で思考を終わってはいけません。
何故日本が過去に戦争を行う必要があったかという歴史的経緯や原因、そして今後それに至らないためにどうすればいいのかという対策を、国民一人一人が学び、考えることが大事です。

アメリカ大統領選挙における日本メディアへの違和感

不正選挙を隠蔽する動き

2021年からの4年間の大統領を決めるアメリカ大統領選挙が2020年に行われ、正式に民主党所属のジョー・バイデン氏の当選が確定しました。

しかしながら、SNSやTwitterなどで様々な選挙での不正行為が多く寄せられたのに対して、日本のメディアは何も検証せず、比較的中道、右側の論客もフェイクと決めつけ、封殺する事態に至りました。

トランプ氏は不正が起きていた事実をもとに訴訟を起こすなど、最後まで敗北を認めませんでした。
最終結果が発表される1月7日においては、支持者に対して連邦議会議事堂の前で結果を待とうと呼びかけました。

ところが一部の支持者と思われる人間が議事堂に潜入、建物の一部を壊す騒ぎとなり、警察が発砲、4名がなくなる事件となりました。
アメリカのメディアはこぞってトランプが扇動したと報じ、SNSやTwitterも一斉にトランプ氏のアカウントを永久停止、オンライン決済も止められるなど、まるで裏で決めごとを行ったかのような行動に出ました。

一方で参加者からは実際の映像を発信し、トランプ支持者とは異質の姿の人間が襲撃や侵入を行う様子や、一部の犠牲者がその異質な人間によって背後から撃たれる様子も確認されました。
ところがどのメディアもこの事実を報じませんでした。

最終的に連邦議会の下院でトランプ氏の大統領弾劾を訴追する決議を決め、上院で弾劾裁判が行われることになりました。
とはいえ、1月20日までには判決が出される可能性は低く、そのまま任期を満了する可能性が高いです。

日本メディアはなぜ正しく報じないのか

さて、私が違和感を感じたのは、日本のメディアにおける報じ方と、それに対する有識者らの反応でした。
左寄りである朝日新聞、毎日新聞は、懇意であるアメリカ民主党寄りの報道になるのは当然ではありますが、比較的右寄りであるはずの産経新聞までもが右に倣えの報道を行ったのです。

また、保守よりであるラジオ番組においても、アナウンサー、コメンテーター共にトランプ氏を非難、不正選挙はフェイクだ、と決めつけるほどでした。
なぜ、こうしたメディアですら、ネットの情報を精査することなく否定をするのでしょうか。

「アメリカは民主主義の先進国で絶対的に正しい」というステレオタイプ

まず考えられることは、戦後から一貫して日本人に植え付けられた、アメリカの絶対的な正しさと民主主義に間違いはないという先入観を持ってみているからではないかと思います。

敗戦後、日本はアメリカを主体としたGHQによって教育レベルから改めさせられ、その後の政治、経済においてもアメリカから学ぶことが多く、高度経済成長に至った経緯があります。
昭和から平成の前半までは、日本人はとにかくアメリカにあこがれ、日本人であることに恥すらも覚える人が少なくもなかったのです。

そうして育った人たちがほとんどとなった今の日本においては、アメリカに間違いは存在しないと決めつける風潮が根深く残っているのではないでしょうか。

だからこそ、右側の論客ですらも、アメリカの民主主義が崩壊しつつある現実に目を背けていたのではないでしょうか。

不党性のないアメリカ報道の鵜呑み

日本においては、テレビやラジオの放送においては放送法第4条により、特定の思想に偏った放送をしてはいけないとなっています(ただ、罰則規定がないために有名無実化されています)。

一方でアメリカにおいてはこうした制限を撤廃し、局によって思想の異なる放送が可能になっています。
現在では4大ネットワークといわれる全米向けにネットするテレビ局のうち、FOXのみが保守より、CBS、ABC、NBCは左寄りといわれています。
さらにケーブルテレビの普及とともに勢力を伸ばしたニュース専門局、CNNは完全な左寄りといわれています。

しかしながら、日本の報道においてはCNNを主体に、CBS、ABC、NBCの報道ばかりを採り上げ、FOXの情報を流さないという不思議な方針をとっているのです。
これでは一方的な思想の情報しか送られず、まともな情報収集など無理と言えるでしょう。

新聞においても、ニューヨークタイムズやワシントンポストといった左寄りの報道が流されていて、尚更情報がまともに送られていない現状が続いているのです。

ANTIFA、ジョージ・ソロスの暗躍

さらには、民主党を陰で支えているといわれているANTIFA(反ファシズム団)のパトロンと呼ばれている投資家、ジョージ・ソロスが暗躍していたのではないのか、と考えています。

ジョージ・ソロスはハンガリー系ユダヤ人の投資家でしたが、現在は引退して「事前活動家」として資金提供を行っています。
その彼は過去にも、反保守派に対する資金提供を何度も行っており、ポーランドや当時のチェコスロバキアでの民主化運動や、ジョージアにおける政変に関わっていたとされています。

最近においても、アメリカにおける反ファシズム運動やBlack Lives Matter暴動や活動においてもパトロンとなっているといわれています。

その彼が、トランプ氏の再選を完全に潰すため、日本のメディア各社や有識者たちに資金(広告料)を渡し、口止めをさせてバイデン氏をほめたたえる報道を行うよう働きかけていたのではないかと推測されます。
日本だけでなく、主要各国においても同じことを行っているでしょう。

日本における一連の報道を見ても、右の論客たちすらも宗旨替えするほど、あからさまに不正行為を無視する様を見ると、何かしらの金を握らせたとみられても不自然ではないかと思われます。

もしこの行為が明らかになれば、日本だけでなく世界中の報道や情報インフラ全体を巻き込んだ史上最大のスキャンダルになるでしょう。

金によって価値が決まる全体主義に進むのか


個人的に、西側諸国といわれる集団がここまで人々の自由を奪い、全体主義に傾くことに驚きをもっています。
自由主義、民主主義を謳う国においては、資本主義社会における金のやり取りによって簡単にゆがめられ、たとえアメリカであっても汚職によってゆがめられるのだというのがよく理解できたように思えます。

さらにはGAFAやSNS企業によって、国の判断なしに一方的かつ恣意的に、自社の都合の悪い情報、ユーザを排除することもできるというエビデンスを残したことで、民衆の自由が彼らによって奪われ、左翼政治とリンクした全体主義に発展することは十分考えられると思われます。

まさに中国が目指している社会がアメリカにも浸透し、やがて世界を席巻するかもしれません。
日本人はこの危機に早く気付き、自立して国家を守り形成できるよう努めなければならないでしょう。

「夢+努力=現実」とは限らない

つい先日、横浜市で努力をすれば報われる社会なのかを調査する結果が発表されました。

それによると、実際に報われると思う人は15%しかなく、43.4%が思わないと回答しました。
どんなに頑張っても成績が上がらない、就職できない、給料が上がらないと悲観する人が多いでしょう。

しかし、そんな人たちはどのような努力をしたでしょうか?

「闇雲な努力」は、人を不幸にしてしまう

どんなに人一倍努力しても、それが間違った努力をしていたのであれば、結果が伴わないどころか、逆の結果を生み出してしまいます。

たとえば、自らの足腰を鍛えようとしたとき、昔であればウサギ跳びをするのが一般的でした。
しかし、ウサギ跳びの姿勢によって、膝や股関節を傷めやすく、現在では器具を使ったり、膝を前に出さないようにスクワットを行うのが一般的です。
これが、誤った方向で努力をして不幸になってしまう一例です。

大事なことは、目標を立てたときに、それを行うのにどの努力が正しいのか、効果的なのかを検証し続けることです。
闇雲に努力だけをしては、誤っているかを確認できず、結局は無駄骨に終わりかねません。
どの努力が正しいかがわからないのであれば、一定期間行ってその結果を確認する、それが難しいのであれば、ネットや書籍、上司や成功している同僚、知人などから知恵を授かって、その方法を検証することです。

上記に書いた43.4%の人たちは、努力の方向性を確認せず、無駄骨を折っていたように思えます。
私の場合、今までの経験の上で言えることが、効率的で正しい努力をしたときは報われるが、そうで無いときは確実に報われない、結果が出なかったことでした。

努力には「方向性」がある

かつて私が好きであったラジオパーソナリティは、番組の中でしきりに「夢+努力=現実」という夢の方程式を唱えていました。
夢を持ち、それを成就させる努力を行えば、夢は叶えられる、ということです。

しかし私の経験からすれば、これだけでは正しいとは言えず、努力はベクトル値であり、その上に「→」を付けるか、言葉だけなら「正しい方向の努力」と書き換えたいと思います。

今まさに、目標に向かって努力をする人は、今一度立ち止まって、果たして正しい方向に向いているかを確認しましょう。
 
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