2017年、海の向こうに日本を滅ぼす危機が迫る年になりましたが、日本の内部でもあるものが崩壊した年にもなりました。

その顕著な例となったのが、日刊ゲンダイが12月に、朝日新聞社の論説委員である高橋純子氏とのインタビューでした

彼女はインタビューの中でも、

――コラムがああいう表現になったのには、安倍1強政権だからこそのニーズや必然性があるようにも思います。言葉のすり替え、ごまかしが当たり前の安倍政権をバカ正直に論じてもはぐらかされてしまうというか。

 その通りです。安倍政権の振る舞いや政策を正面から論じても読者はピンとこない。政府もヘッチャラです。なぜなら、向こうは百も承知で「人づくり革命」「1億総活躍」をはじめとする、欺瞞的で、人間を道具扱いするかのごときキャッチフレーズを次々と繰り出してはばからないからです。欺瞞を正面から論破するのは難しい。だから「なんか嫌だ」「どっか気持ち悪い」などといった自分のモヤモヤした感情をなんとか言葉にして読者に伝えないと、権力に対峙したことにならないんじゃないかと思うんです。

と、事実関係を確認せず、ただ「気持ち悪い」という個人的感情だけでの「感想文」を紙面に載せ、読者を先導していることを明言したのです。

今年賑わせた、加計学園の獣医師学部設置において、安倍総理が懇意である加計学園理事長の口利きをして文科省に圧力をかけたという疑惑についても、両者の間で賄賂のやりとりがあったことだけでなく、直接それを行った「証拠」すらもないのが現実です。

この事件の火付けとなったのが、朝日新聞による「文科省内部からリークされたメモ」でした。
しかし、その内容には日付も、文書番号も、作成者名も、宛先も、発言した当事者の名前も記載されておらず、内容においても、「総理のご意向だと『聞いている』」と、あくまでも伝聞での内容のみで、事実確認をしたというものは存在しませんでした。

IT産業に従事する私からすれば、機密情報に相当する内部メモがリークするだけでも、情報セキュリティ上あってはならないことですが、メモとして伝える、あるいはメールで送るにしても、最低でもタイムスタンプと文書の作成者、宛先くらいは明記しないと、信頼できる文書とは言えません。

こうした文書がいくらでも出たからと言って、信頼できる情報というには極めて難しいです。

にもかかわらず、朝日新聞社は自らの理想に反する安倍総理をなんとか引きずり下ろしたいという「法人的感情」をもとに、あたかも安倍総理が加計学園から賄賂をもらって圧力をかけたと「ねつ造」を繰り返してきました。

それに、毎日新聞、中日新聞などの主要な新聞社、各地上波テレビキー局、さらには政権打倒が目的化していた民進党などの左翼野党も便乗し、世間に安倍総理のスキャンダルありきの風説を流布させ、内閣支持率を一時的に低下させました。

結局誰一人として、安倍総理と加計学園理事長とのスキャンダルをつかんだ事実を見せつけるものはおらず、安倍総理憎しという感情で集まった強い権力群によって、デマを振りまいたという事実だけが残りました。

当の朝日新聞はというと、森友学園事件も含めて、報道方法などの問題点を糾弾した小川榮太郎氏を「名誉毀損」として民事訴訟を起こし、それとほぼ同時期に、冒頭のような事実の検証、証拠の確認をせずに憶測だけで報道していることを暴露するに至りました。

もはや朝日新聞にはジャーナリズムのかけらもないし、スローガンにしていた言葉のチカラすらもかなぐり捨ててしまったのです。
日本の滅亡を願っているどこぞの国家のプロパガンダ機関となっているのです。

プロパガンダ機関となったマスメディア

そもそも、マスメディアに対しては、多くの人たちが知る権利を得る上での委託先という認識を持ち、マスメディアもそれに応えるために様々な情報を入手提供するのみならず、その情報に対して裏付けをしっかり行って信頼性を担保する役目を担うはずです。

しかしここ30年間の報道を見ると、椿事件を始めとして、マスメディアが情報の支配力が強くなったことを悪用し、事実を伝える以上に、自分たち(信奉する特定国家)に都合のよい社会へと変貌させるため、情報の隠蔽、ねつ造、表現方法の変化による解釈の誤解を誘発させるなど、徐々にプロパガンダ機関へと変貌していきました。

インターネット、さらにはSNSの普及によって、不特定多数の国民が個別に情報共有を行っていくことで、彼らが隠蔽した情報が発見されるなど、国民が彼らにだまされた事実が明らかになっていき、現在の第二次安倍政権に至っては、かつての民主党政権への交代劇のような大きな変動が起こらなくなっています。

そして2017年、ついにマスメディアはついにあからさまに虚偽の情報を出すようになり、自ら情報の事実確認を捨てる発言が飛び、さらにはそうした事実を暴露した作家を民事訴訟で弾圧に踏み切るなど、見るに堪えない惨状を晒すに至りました。

今年の流行語となった「フェイクニュース」とは、アメリカのトランプ大統領が、大手の新聞、テレビ局などのマスコミによる虚偽のニュースを指す言葉ですが、それは日本にもしっかり当てはまっています。
にもかかわらず、マスメディアの仲間内である「現代用語の基礎知識」では、ネット上でのデマ、虚偽の情報と、あからさまにネットに敵意をむき出しにした解説へとすり替えられています。

彼らは、ネットによって情報の検証をしている国民が大多数になったことも理解していないのか、彼らを敵に回す行動に出ています。
つまりは「顧客」を敵に回しているのに等しいのです。
商売を考えれば悪手甚だしく、自滅の道を歩んでいることにも気づいてないかも知れません。

頼みの綱は、マスメディアにだまされてネットの情報を得ない団塊の世代以上でしょうが、彼らもセカンドライフによってネットの利用が進みつつあり、家族との情報共有も含め、マスメディアからの洗脳から解放されつつあります。

マスメディアからジャーナリズムが死んだというのは大分前から聞こえてきましたが、2017年は、マスメディアからジャーナリズム自体が消失した、復元不能に陥った年だ、と後に語られるかも知れません。