2019年9月22日、1980年代から2000年代までアニメ関連のラジオ番組で看板パーソナリティとして人気を博していた小森まなみが数年ぶりにラジオに復帰し、当時のリスナーやファンが盛り上がり、ツイッターのトレンドで世界10位を獲得するなど、大きな反響を呼びました。

しかしその状況を見ると、数年のうちに進歩、変化したラジオの姿に、小森自身が戸惑う姿を垣間見たように思えます。

小森まなみとは

EFE7x1FVAAAKPnp※写真は本人公式ツイッターより

東京都出身の小森まなみは、日本大学芸術学部在籍中の1979年に、ニッポン放送でガヤのアルバイトをしているときにスカウトされ、ラジオ番組の1コーナーを担当する形でラジオデビューを果たしました。

翌1980年にはラジオたんぱ(現:ラジオNIKKEI)にて、「ヤロメロジュニア出発進行!」の金曜日担当パーソナリティーとしてのキャリアを出発しました。

そのアイドル然としたルックスと明るく優しい声で一気に人気となり、大橋照子、斉藤洋美とともに「たんぱ三人娘」として大きなブームを呼びました。

その人気にあやかって、1983年にはCBSソニー(現:ソニーミュージック)から歌とトークを収録したシングルレコードを5枚同時にリリース、歌手デビューも果たしました。

多くのラジオ番組を経て、1984年には東海ラジオをキーとした番組「mamiのRADIかるコミュニケーション(略称:RADIコミ)」がスタート、出産等による休養期間を挟みつつ、25年に渡って放送される長寿番組となりました。

小森のラジオへの姿勢は、若者を中心に、どのような内容であっても真剣に向き合うことを信条としていて、番組で採用できなくても全ての便りを読み、必要に応じて返信をするなど、毎週段ボール1つ分になるほどの多くのはがき、封書に囲まれる中でも一通ずつ読むことを厭わなかったのです。

キャリアを重ねる毎に、いわばアイドルDJという存在から、「マミ姉」と呼ばれるような、人生の先輩としての存在へと変化をしていきました。

その一方で、アニメ作品へのテーマソングなどの提供、アニメやゲームの声優としても活動していき、1990年代にRADIコミはアニメ系ラジオ番組(アニラジ)の一つとして、再びブームの真ん中に来るようになりました。

しかし2000年代に入ると人気が低迷、スポンサーの撤退も相まって、2009年でRADIコミが終了、そして2011年には自らの体調が優れないという理由で全てのラジオ番組を降板、2019年に至るまで長期休養が続きました。

公式ブログを含め、数年に及んで音信不通状態が続き、ネットでは死亡説までささやかれていただけに、冒頭の復活生放送は、かつてのリスナーにとって驚きを以て迎えられました。

止め止めもないメール、タイムラインに戸惑うラジオスター

実際の放送では、1時間の生放送で、はがき、封書でのお便りだけでなく、放送時でもメール、公式ツイッターアカウントでもお便りを募集するものでした。

メールでの募集はRADIコミ本放送末期でも行っていたものの、生放送では初めての経験で、しかも生放送となると放送中もメールが次々に送られるため、収録放送とは勝手が違ったでしょう。

また、小森本人も機械音痴を自称する中、ツイッターの使い方もよくわからず、パソコンでタイムラインをスクロールしてメッセージを読むのも一苦労のようでした。
最近になって仕様が変わり、スマホ版同様に更新があるとそのままスクロールされるため、尚更手こずっていたのは容易に想像できます。

そもそも、RADIコミのみならず、パーソナリティーとしての40年近いキャリアを考えると、懐かしさに久々に投稿した人もいるようで、潜在的に数万人のリスナーがいることを考えると、前日の打ち合わせと当日の1時間の放送ではさばききれなかったのは仕方なかったでしょう。

私の身の回りにおいても、70,80を過ぎてもパソコン、スマホを使いこなし、SNSで情報発信、意見交換をする人を幾人も見ているため、年齢を理由について行けないという批判は適切では無いと思います。

とはいえ、10年前と現在とでは、ラジオ自体の環境が大きく変わったことを彼女は実感したように思えます。

ITを吸収して進化したラジオ

2009年にRADIコミが終了し、そこからの10年間は、ラジオにとっては大きな変革を迎えていました。

2010年に、インターネット経由でラジオ番組を聴くことが出来る「radiko」がスタートしました。
当初は東京と大阪の一部のラジオ局のみが参加しましたが、年々参加局、エリアが拡大し、現在はほぼ全国のラジオ局(コミュニティFMを除く)が聴けるまでに至っています。

無料の場合だと受信している地域の局のみが聴けますが、月額料金を払ってプレミアム会員となると、全国のラジオ局が聴ける仕組みになっています。

今回の復活放送においても、radikoプレミアム会員になって、東海地区以外から聴いていたリスナーも多くいたようです。


そのほか、ニコニコ生放送やYouTube Live、FRESH LIVEなど、インターネットでのストリーミング放送サービスも充実し、ラジオ番組をサイマル放送したり、放送中の映像をプラスして放送する番組もあります。

番組そのものにおいても、FacebookやmixiなどのSNS、Twitter、Instagramを使い、番組情報の発信やアンケート、番組中に採り上げた内容を画像や動画付きで配信し、多角的に情報を提供する形態に変わりつつあります。
また、お便りやリクエストもこれらを使う番組もあり、番組とリスナーとのコミュニケーションが簡単で迅速にやりとりされるようになりました。

電波を使ったラジオ自体にも変革があります。
テレビ放送がデジタル化したことで、地上アナログ放送で使用していたVHF帯(90~108MHz)が開放され、ラジオ向けに使えるようになりました。
これにより、AMラジオ局がFM放送として上記周波数帯でサイマル放送を始めました。

元々、AM放送では、ラジオ自体が電源が無くても受信でき(音はかなり小さいが)、ゲルマニウムを使った鉱石ラジオというものもあったほどです。

しかし送信所自体が巨大な施設になり、出力もFMや地上波テレビに比べても非常大きくなるために電力消費も大きいデメリットがあります。
AMラジオ局自体が収益面での問題で、老朽化した施設を維持、更新することが難しいとのことで、2028年頃にはAM放送を終了するという可能性も出てきています。

一方でデジタル放送の動きもあります。
slide1現在では2016年に開始した「i-dio」が放送されていて、全国放送と地域毎の放送がそれぞれ受信されます。

残念ながら、既存のラジオ局で参加しているのは北海道、東北、中国、四国の一部だけで、その他の地域ではまだ独自チャンネルのみが放送されているだけです。

また受信方法も、スマホやパソコンに取り付けるタイプのチューナーか、一部の防災ラジオしかなく、インターネット経由で放送を聴くのが最も手軽な方法になっています。


もっとも、すでにradikoがあることと、デジタルにするメリットがまだ見いだせてないのが理由だと言えるでしょう。


これほどまでにラジオ自体が大きく変わり、多様になっていることを考えると、10年前、それ以前のラジオ番組の形で放送することが、果たして通用するかわかりません。

すでに既存のラジオ番組がこうした変化を受け入れ、進化をしている以上、再び歩み始めたらジオスターもまた、その変化を受け入れ、進化する時を迎えるかもしれません。