世の中には、清廉潔白、清く正しく美しい、クリーンな人間を求めがちです。
芸能界においては清純な人がもてはやされますし、政治においても、汚職など金に関する話がないクリーンな政治家が理想だ、という声も少なくありません。 

では、あなたの身の回りにはそうした人はいるでしょうか?
今まで生きてきた中で全く出会ったことがないのであれば、それが普通だと思った方がいいです。

人は誰しも、嘘、偽り、ほかには言えない秘め事など、「悪事」を一つでも持っているものです。
それが全くない人というのは、生まれてから世間にほとんど出さない、まさに箱入り娘のように温室育ちの人くらいしか現れないでしょう。

それゆえに、清廉潔白を「売り」として世に出る人たちにとっては、たった一つの小さな過去の悪事が見えただけでも、大きな痛手となります。
これまでにも、そうした売りを持つ芸能人、政治家などが、ちょっとしたスキャンダルによって大きくイメージダウンするばかりか、日頃からダークな一面を持つ人に比べて、社会的に抹殺されるところまでに至っています。 

しかしながら、そうした悲劇をもたらしているのは、「無い物ねだり」をし続けている一般社会そのものではないでしょうか。 

誰しもが清く正しく美しい人を追い求め、それに近いイメージの人間が出たとき、あたかも神のように褒め称え、常にそうあり続けてほしいと願うことにこそ、根本的な間違いが起きるのではないでしょうか。

「聖人」など滅多なことでは生まれません。人の持つ本質を見つめ、己も見つめ直した上で、多少の悪事は大目に見た上で、その人の優れた才能、実力を認め、称えることが大事ではないでしょうか。 
だって、みな「人間」ですから。