想定の範囲外」。この言葉をこの数年で何度聞いたことでしょう?

東日本大震災、熊本地震、そして北海道での子供の置き去り事件。
いずれも、想定を超えた事象によって、多くの犠牲者を出したり、危うく犠牲が生まれる恐れがあったりしました。

そもそも、「想定」というのはどこから考えられることでしょうか?

経験の末でしかない「想定」

多くの場合、これまでに発生した同じ事象を元にした統計的な結果、あるいはこれまでの経験の積み重ねの末に、専門家が内輪の中で決めた予想だ、ということです。 

つまり、そうした専門家が「今までがこの範囲だったから、今後もこれに収まるだろう」「それ以上のことはあり得ない」と勝手に判断したことが、悲劇を生んでいる、といえるでしょう。 

確かに、経験の末の想定を中心に対策を練ることによって、それによってかかるコスト、時間を削減し、効率的な対処が出来やすくなります。 

しかしそれまで積み重ねた経験、統計のデータは十分な量なのか、と言われれば、確かだ、と言うことは難しいでしょう。勝手に十分だと判断してしまえば、「想定の範囲外」が広がっていくだけです。

「あり得ない」も想定する

ここからは私の経験談です。

一時期、私はとある会社内にある、各社員向けのパソコンのユーザーサポートの仕事をやっていました。
トラブルがあれば、電話で私の元に問い合わせが来ます。 その上で、遠隔操作でパソコンの状況の確認と対処を行ったりしました。

しかし、その原因を聞いて調べるうちに、長らく使いこなしている自分が思いつく予想を大きく超えるものも少なくありません。

たとえば、Windowsで作業を終了するときはシャットダウン操作をしますが、 毎回電源ボタンをずっと押して強制的に切ってしまう、ひどい場合は電源コードをコンセントから引き抜く人もいました。

あるいは、わからないまま闇雲にマウスとキーボードをいじりまくったために、もっとひどい状況へと悪化してしまった人もいました。

そうした行動は、日頃から正しい操作でパソコンを利用する専門家から見れば考えられない話で、彼らがその経験だけで想定しても、大半は対処できなくても仕方ありません。

ユーザーサポートの場合、最初から「こんなことはあり得ない」ということまでをひたすら想像していって、 非効率的な範囲まで想定を広げないと仕事になりません。

これは、「万が一」のことまでを考えることに繋がるでしょう。 

危機管理の点で考えても、結局は効率性を考えて、今までの経験、統計を元にしただけの想定では、その範疇を超えたときに一気に被害が出て、対処も遅くなってしまいます。

想定を考えるにしても、経験や勝手な思い込みだけで作ることなく、「あり得ない」「万が一」という範囲も含め、対処が出来るよう準備をしなければいけないでしょう。